雑誌『フッサール研究』 Husserl Studies in Japan
2017-07-24T18:28:41+09:00
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フッサール研究会編(photo:Husserl Family 1911)
Excite Blog
ホームページ移行のお知らせ
http://husserl.exblog.jp/27997640/
2017-07-24T18:28:00+09:00
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その他
フッサール研究会(https://sites.google.com/site/husserlstudiesjpn/)
最新の情報は以下になります。
[フッサール研究会特別企画]植村玄輝著『真理・存在・意識 フッサール『論理学研究』を読む』合評会
当ブログの内容も少しずつ上のページに移していきますので、リンクの貼りかえなど、よろしくお願いいたします。
今後ともフッサール研究会をよろしくお願いいたします。
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知覚は誤らないのか:エコロジカル・アプローチをめぐって
http://husserl.exblog.jp/27659690/
2017-03-22T10:46:00+09:00
2017-03-22T10:46:27+09:00
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研究発表要旨
こうした特徴づけは、そうした具体性に即した知覚の分析が現象学以前においても存在しなかったわけではないという点においていささか誇張を含んではいるが、フッサールやメルロ=ポンティの果たした仕事の意義を評価する、という点では眼目のないものではないだろう。とはいえ、フッサールはもちろんのことメルロ=ポンティの没年から数えても、既に五十年以上が経過している。その後の現象学研究において、知覚の分析が常に研究のメインストリームであったとは到底言えないし、また数十年前の現象学者の果たした仕事がどれだけ偉大であれ、現在においても現象学が知覚の分析の最先端であるということはそこからは帰結しない。近年、知覚の分析において目覚しい研究成果がフッサール研究の業界を賑わす、といったことはあまり眼にしないのではないだろうか。
こうした視点から見ると、近年の知覚論研究はむしろ認知科学や分析哲学の方面で活況を呈している。日本においても知覚論を専門とする若手の分析哲学者が活発に活動しているし、2014年にウィリアム・フィッシュの定評ある入門書が邦訳されて以降、こうした分析哲学における知覚論の隆盛はぐっと近づき易いものになったと言えるだろう。それに比べて、現象学研究における知覚論研究は下火になってしまったようにも見える。
そうした状況の中、このフッサール研究会でも創設期から活躍されていた、フッサール現象学にも造詣の深い染谷昌義氏の著書『知覚経験の生態学:哲学へのエコロジカル・アプローチ』が今年刊行された。だが、染谷氏の著書は、現象学から多くのヒントは得ているものの、知覚は誤らないという主張のもと知覚の表象的性格を否定し、環境の存在論からのアプローチを主張して現象学をはじめとする方法論的独我論を批判するなど、現象学研究者にとって手放しで味方として歓迎できるものとは言い切れない。認知科学・心理学の分野とも接しながらもやや異色なこのエコロジカル・アプローチからの刺激的な提案を受けて、知覚論研究の今後についてどのような展望が拓けるだろうか。今回のシンポジウムでは、同書著者の染谷昌義氏に問題提起をいただき、分析哲学の知覚論に詳しい小草泰氏、フッサール研究者であり分析哲学の議論にも通じている葛谷潤氏に、染谷氏の議論に検討を加えていただく。]]>
フッサール研究第14号(2017)
http://husserl.exblog.jp/27644342/
2017-03-16T16:01:00+09:00
2017-03-17T18:48:44+09:00
2017-03-16T16:01:53+09:00
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『フッサール研究』
「真理と誠実さ フッサール、レヴィナス、ウィリアムズ」
林遼平
「『危機』における「新しい関心」と「生活」 ハーバマスとフェルマンのフッサール批判を手掛かりに」
栁川耕平
「フッサール初期時間論から中期時間論への予持概念の変化」
綿引周
「「括弧入れ」とは何か 還元されることと現象学の領野に含まれること」
特集「〈間主観性の現象学〉とその地平」
田口茂
「モナド論と原事実 『間主観性の現象学』に含まれる一つの筋道」
鈴木崇志
「フッサールの他者経験の理論における三種の「出会い」」
フッサール研究会特別企画「田口茂『現象学という思考』合評会」より
佐藤駿
「「媒介」とは何か 媒介論的現象学のために」
納富信留
「現象学の語りとその問題 田口茂『現象学という思考 〈自明なもの〉の知へ』(筑摩選書、2014年)を読む」
山田圭一
「本質は本当に必要なのか 同一性と類似性という観点から」
田口茂
「媒介・本質・流れること 書評へのリプライ」
フッサール研究会特別企画「フッサールの新資料を読む(4)」より
山口弘多郎
「フッセリアーナ第39巻『生活世界』についての報告 原創設、世界経験、方位付け構造、自然、実践」
吉川孝
「フッセリアーナ第39巻『生活世界』を読む 確実性、根源的獲得、正常性をめぐって」
フッサール研究会特別企画「フッサールの新資料を読む(5)」より
村田憲郎
「『時間意識についてのベルナウ草稿(1917/18)』を読む」
吉田聡
「生成する時間 『C草稿 時間構成についての後期テキスト(1929–1934)』を読む」
フッサール研究第14号 2017年3月 目次(PDF版)
★★
論文の著作権は各著者に属する。また無断転載を禁じる。
凡例
本誌におけるフッサールの引用・参照は、基本的に『フッサール全集』(Husserliana)
にもとづく。『全集』の巻数とページ数は、それぞれ大文字ローマ数字、アラビア数
字で示される。(ただし、編者による序文の引用・参照の際には、小文字ローマ数字
が用いられる。)なお、Husserliana Materialien からの引用にあたっては、巻数の前に
「Mat.」という略号が添えられる。
編集:鈴木崇志
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植村玄輝「フッサールによる「世界無化」の考察は何をどこまで示したのか*」
http://husserl.exblog.jp/27559343/
2017-02-14T23:09:24+09:00
2017-02-14T23:09:26+09:00
2017-02-14T23:09:26+09:00
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研究発表要旨
(1) 意識は完結した内在的領域であり、物的な世界から独立して存在する。
(2) 物的な世界は志向的な存在であり、それに相関する意識に相対的にのみ存在する。
(1)によって意識の依存的存在という一見すると自明な考えが否定され、他の何にも依存しないといういみでの絶対性が意識に対して認められる。そして(2)によって、物的な世界が意識から独立して存在するというこれまた一見すると自明な考えも否定される。これら二つの主張は、額面通りに捉えるならば、物的な世界にはそれに属さない存在論的基盤があり、その基盤は非物的でいわば「心的」ないし「精神的」であるという主張へと通じているように見える。これが超越論的現象学の形而上学的含意のひとつだとすれば、フッサールが後に自分の立場を超越論的「観念論」と呼んだことには納得がいく。だが、そうした強い形而上学的見解を帰属させることは、フッサールを今なお真剣な検討に値する哲学者ではなくしてしまうのではないだろうか。こうして好意的な解釈者の多くは、フッサールの超越論的観念論を信じがたい立場にしないために、世界無化の考察をうまく処理するという課題を引き受けることになる。このとき典型的になされる評価は、『イデーンI』の世界無化の議論は、フッサールが本来ならば行うべきものではなかったものであり、実際にこの議論から帰結する見解をのちのフッサールは克服しているというものである**。
だが、実情はこのようにまとめることができるほど単純ではないように思われる。というのもフッサールは、1920年代以降にもいくつかの講義や研究草稿で(ときに『イデーンI』に明示的に言及しつつ)世界無化の考察をふたたび取り上げるからである。それらの講義や草稿には「世界なき意識は可能か」という問いを開かれたままにしているものも含まれるが、少なくとも明確な答えが与えられている場面では、フッサールは(ほとんど)いつでも『イデーンI』の立場を保持し続けるのである***。そのため、世界無化の議論が何を示しているにせよ、それをフッサールの公式見解から除外するような解釈は修正的・改定的なものであると言わざるを得ない。
およそこのような事情を背景に、われわれは本論で『イデーンI』の第47節から第49節を読み直したい。われわれの考察は以下のように進む。「1. 議論の文脈」では、『イデーンI』当該箇所をそれが含まれる同書第二篇の議論の脈絡の中に位置づける。「2.『イデーンI』第47–49節」では、そうした文脈を踏まえたうえで、関連する講義・草稿を適宜参照しながら、第47節から第49節での議論を追跡する。これら二節での作業を通じて、『イデーンI』第47節から第49節におけるフッサールの議論は、現象学的還元という操作を経ずに、つまり自然的態度の中に留まったままで超越論的観念論の主要テーゼである(1)と(2)を導くものとして姿を現すことになる。最後に、この帰結を踏まえ、現象学的還元の役割とその後のフッサールの超越論的現象学の展開についていくつかの所見を述べる
* 本発表は、発表者が2013年に哲学会のワークショップで行った報告の改訂版である。
** Cf. Rudolf Bernet, La vie du sujet (PUF, 1994).
***例えば以下を参照。VIII: 55, 74 [WS 1923/24]; Ms. F IV 3, 57a [wohl 1925]; XXXIX: 221 [wohl 1926]; III/2: 634–635 [um 1928]; XXXIX: 224–230 [wohl 1930]; Ms. B I 13 VI [1931]; XV: 151 [wohl Ende 1930, oder 1931]; XXIX: 85 [1935].
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峯尾幸之介「M・ガイガーによる価値美学の基礎づけ」
http://husserl.exblog.jp/27559342/
2017-02-14T23:08:04+09:00
2017-02-14T23:08:06+09:00
2017-02-14T23:08:06+09:00
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研究発表要旨
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第15回フッサール研究会
http://husserl.exblog.jp/27559338/
2017-02-14T23:06:00+09:00
2017-03-22T10:47:16+09:00
2017-02-14T23:06:02+09:00
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フッサール研究会
● 会場:東京大学 法文2号館 一番大教室
http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_01_02_j.html
● 参加費: 500円(資料代およびお茶代)
● プログラム:
10:00-10:30 受付
10:30-11:50 植村玄輝(岡山大学)「フッサールによる「世界無化」の考察は何をどこまで示したのか:『イデーンI』§§47–49再訪」(要旨)
11:50-12:30 ミーティング
12:50-13:30 昼食
13:30-14:50 峯尾幸之介(早稲田大学)「M・ガイガーによる価値美学の基礎づけ」(要旨)
14:50-15:00 休憩
15:00-18:00 シンポジウム「知覚は誤らないのか:エコロジカル・アプローチをめぐって」(主旨文)
提題:染谷昌義(高千穂大学)、葛谷潤(日本学術振興会特別研究員)、小草泰(慶應義塾大学)
司会:富山豊(東京大学)
18:30-20:30 懇親会(会場未定)]]>
フッサールの新資料を読む(6):『論理学:1896年講義』と『判断論についての研究』
http://husserl.exblog.jp/26346892/
2016-10-11T21:00:00+09:00
2016-10-11T21:01:04+09:00
2016-10-11T20:59:16+09:00
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フッサール研究会特別企画
*開始・終了時間は、下記の仮タイムテーブルから変更される可能性があります。
会場:高千穂大学1号館1階 1103教室
*キャンパスへのアクセスはこちらを、キャンパス内の地図はこちらを参照してください。
報告者:富山豊(東京大学)、秋葉剛史(千葉大学)
企画・司会:植村玄輝(岡山大学)
開催趣旨
今世紀に入ってからのフッサール研究に特有の事情の一つとして、全集『フッセリアーナ(Husserliana)』をはじめとした一次資料の刊行される勢いが明らかに増したということがあげられる。1950年の刊行開始から2000年までのちょうど50年では、(分冊も別々に数えるならば)合計32冊が全集として世に送り出されており、フッサールの一次資料が公になるペースは、平均すると一年に0.64冊でしかなかった(『フッセリアーナ記録集(Husserliana Dokmente)』第三巻として刊行された全10冊の書簡集のうち、索引を除く9冊をそこに加えたとしても、平均刊行ペースは一年に一冊に満たない0.82冊である)。それに対して2001年から2015年までの14年間では、『フッセリアーナ』として14冊、2001年に新設された『フッセリアーナ資料集(Husserliana Materialien)』として9冊が出版されている。つまり今世紀に入ってからは、一年に約1.71冊というそれまでの三倍弱(あるいは二倍以上)のペースで一次資料が新たに登場しているのである。もちろんこれらの資料には分量にも難度にもばらつきがあるため、単純な計算だけから結論を導くことはいささか安易ではある。だがそうはいっても、気づけば次の巻が出ているというここ十年あまりの状況を目の当たりにして途方に暮れたフッサール研究者は少なくないのではないだろうか。これでは全部を読むことはもちろん、読んだふりをすることさえできないよ、と。
以上のような事情によりよく対処することを目的した研究会の第六弾として、今回は『フッセリアーナ資料集』第1巻『論理学:1896年講義』(2000年刊)と『フッセリアーナ』第40巻『判断論についての研究』(2009年刊)を取り上げる。ボルツァーノの大著『学問論』(1838年)をフッサールなりの観点から辿り直す1896年講義を収めた前者は、『論理学研究』で表明される純粋論理学の構想の前史をなす、最重要資料である。また、同講義で論理学の対象として導入されるイデア的な意味とその分類をめぐる議論は、フッサールがその後集中的に論じることになる判断とその志向性に関する問題を(事実上)先取りしている。そして、この問題に深く関連するフッサールの1890年代前半から1918年までの草稿を収めたものが後者である。これらの草稿では、命題の分類、命題と事態、真理と存在、論理学の対象などといった純粋論理学・形式的存在論に属する問題が、判断の志向性に関する分析と密接に関係づけられつつ論じられている。
内容上深い関係にある二つの巻を同時に取り上げることによって、初期から中期にかけてのフッサールにおける学問論・判断論に関する理解が深められることが期待される。当日は、富山豊氏が『論理学』を、秋葉剛史氏が『判断論についての研究』を担当する。
タイムテーブル(仮)
16:00~16:10 司会者による趣旨説明とイントロダクション
16:10~16:50 報告1:富山豊『論理学』
16:50~17:30 報告2:秋葉剛史『判断論についての研究』
17:30~17:45 休憩
17:45~19:00 ディスカッション]]>
第15回フッサール研究会のお知らせ(兼 発表募集)
http://husserl.exblog.jp/26346865/
2016-10-11T20:53:00+09:00
2016-10-11T21:07:36+09:00
2016-10-11T20:53:00+09:00
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フッサール研究会
第15回フッサール研究会は、2017年3月25日(土)と26日(日)に、東京大学本郷キャンパスにて開催されることになりました。
つきましては、シンポジウムのテーマ・プラン、および、個人研究発表の募集を行います。
以下の要項をご覧の上、ご応募、ご提案をお願いいたします。
特にシンポジウムに関しては、皆様の斬新なアイディア、ご希望をお待ちしております。
-------------募集要項ここから----------------
【シンポジウムのテーマ・プランの募集】
★締め切り: 2016年11月15日(火)
★宛先: フッサール研究会連絡係・松井(husserlkenkyukai@gmail.com)
★応募要領: 上記宛先まで、次の三点をお知らせください。
(1) テーマ・タイトル
(2) パネリスト・司会者の候補(可能であれば、適任と思われる方のお名前を挙げてください)
(3) その他(シンポジウムの内容に関する具体的アイディアなど)
ご提案は(1)のアイディアのみでも構いません。また、(3)について詳しい内容をお示しいただける場合は、800〜1000字程度の概要を添えてください。
皆様のご提案をもとに、企画実行委員会での審議の上で最終的に決定とさせていただきます。
その際、ご提案の一部のみを採用すること、また、応募多数の場合には採用を見送ることもありますので、あらかじめご了承ください。
【個人研究発表の募集】
★締め切り: 2016年12月10日(土)
★宛先: フッサール研究会連絡係・松井(husserlkenkyukai@gmail.com)
★応募要領: 上記宛先まで、次の四点をお知らせください。
(1) 氏名
(2) 所属(無所属も可)
(3) 連絡先(メールアドレス、住所、電話あるいはファックスの番号など)
(4) 論題と発表要旨(800〜1000字程度)
なお応募が多数となった場合は、お送りいただいた要旨とこれまでのご発表実績等に基づいて、発表者を調整させていただきます。あらかじめお含みおきください。
------------募集要項ここまで--------------
シンポジウム企画と個人発表の応募締め切りが異なっておりますので、ご応募の際はご注意ください。
本メールは転送自由です。皆様のお近くに興味のありそうな方がいらっしゃいましたら、お声かけしていただけますと幸いです。
多くの皆様からのご応募をお待ちしております。
2016年10月3日
フッサール研究会企画実行委員会一同]]>
『フッサール全集(Husserliana)』(一部)無料公開開始のお知らせ
http://husserl.exblog.jp/25125791/
2016-04-12T09:56:00+09:00
2016-04-12T09:55:51+09:00
2016-04-12T09:55:19+09:00
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その他
http://ophen.org
にて、『フッサール全集(Husserliana)』第1巻から第28巻の無料公開が開始されました(編者序文を除く。また、第6巻、第20/1巻、第20/2巻は現時点では公開範囲外)。
以下のリンク先をご参照ください。
http://ophen.org/series-506]]>
フッサール研究第13号(2016)
http://husserl.exblog.jp/25026023/
2016-03-08T09:18:00+09:00
2016-03-09T12:16:37+09:00
2016-03-08T09:18:15+09:00
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『フッサール研究』
石井雅巳
「『全体性と無限』における享受論の実在論的読解---レヴィナスはいかなる意味で現象学的か」
加藤康郎
「人はなぜ描くのか---現象学的美学の可能性について」
高山佳子
「フッサールの倫理思想とケアの倫理---ケアの倫理の哲学的原理的探求に向けて」
特集「情動の哲学と現象学的感情論」
陶久明日香
「情状性/気分の規定力」
服部裕幸
「情動(emotion)の問題について」
八重樫徹
「価値に触れて価値を知る---フッサールと情動の知覚説」
特別寄稿
ニコラ・リベラティ(訳:大家慎也・植村玄輝)
「私たちはボーグか?---技術による集合体としての主体をめぐって」
フッサール研究会特別企画「フッサールの新資料を読む」より
葛谷潤
「『知覚と注意』(XXXVIII)に関する報告」
鈴木崇志
「『論理学研究補巻』第2分冊についての報告」
植村玄輝
「フッサールの新資料を読む 『一般的認識論---1902/03年講義』」
八重樫徹
「道徳における客観性と感情---『倫理学入門』を読む」
佐藤駿
「『論理学研究 補巻 第一部』を読む」
松井隆明
「存在と証示可能性 『フッセリアーナ』第36巻『超越論的観念論』を読む」
フッサール研究第13号 2016年3月 目次(PDF版)
★★
論文の著作権は各著者に属する。また無断転載を禁じる。
凡例
本誌におけるフッサールの引用・参照は、基本的に『フッサール全集』(Husserliana)
にもとづく。『全集』の巻数とページ数は、それぞれ大文字ローマ数字、アラビア数
字で示される。(ただし、編者による序文の引用・参照の際には、小文字ローマ数字
が用いられる。)なお、Husserliana Materialien からの引用にあたっては、巻数の前に
「Mat.」という略号が添えられる。
編集:佐藤駿・鈴木崇志 ]]>
第14回フッサール研究会シンポジウム「〈間主観性の現象学〉とその地平」開催趣旨
http://husserl.exblog.jp/24885777/
2016-01-21T20:15:00+09:00
2016-01-22T15:14:03+09:00
2016-01-21T20:14:59+09:00
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フッサール研究会
トピックとして見ても、分量を計れる書物としても、「間主観性の現象学」はその全貌を容易に一望できるような代物でははじめからない。初学者にとってはなおさらだろう。しかし、状況は今後、徐々にではあれ変わっていくに違いない。昨年10月に完結を見た『間主観性の現象学』(ちくま学芸文庫、2012 年/2013 年/2015年)によって、文庫判・抄訳でありながら頁数では原著のそれにも及ぶテキストが日本語でアクセスできるようになったことの意義は大きい。 この訳業は、現象学にすでに通じた読者だけでなく、今から後に現象学を学びはじめる者にとってもまた確実に、「間主観性の現象学」へと近づくためのよすがとなるだろう。
こうした状況を踏まえたうえで、本研究会では、以後ますます活気を帯びてくるであろう当該領域の研究に資するべく議論の場を用意できればと考え、本シンポジウムを企画する。提題者として田口茂氏(北海道大学)、鈴木崇志氏(日本学術振興会・京都大学)を、またコメンテーターとして『間主観性の現象学』 監訳者の一人である浜渦辰二氏を迎える。それぞれのアプローチで他者や間主観性の問題に携わってきた三者を混じえた議論のなかで、「間主観性の現象学」 が研究会参加者にとって、端的に、あるいはよりいっそう近づきうるものとなることを願う。]]>
第14回フッサール研究会
http://husserl.exblog.jp/24885769/
2016-01-21T20:11:00+09:00
2016-02-26T12:50:00+09:00
2016-01-21T20:10:37+09:00
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フッサール研究会
日時: 2016年3月11日(金)‐12日(土)
会場【変更されました】:立命館大学衣笠キャンパス 末川記念会館 第三会議室 立命館大学衣笠キャンパス 存心館 803教室
http://www.ritsumei.ac.jp/campusmap/kinugasa/
参加費: 1000円(資料代およびお茶代)
プログラム(タイトルをクリックすると、各発表の要旨を見ることができます)
3/11
12:30-13:00 受付
13:00-14:20 栁川耕平(立命館大学)「フッサール初期時間論から中期時間論への予持概念の変化」
14:20-14:30 休憩
14:30-15:50 小手川正二郎(国学院大学)「真理と誠実さ:フッサール、レヴィナス、ウィリアムズ」
15:50-16:00 休憩
16:00-18:30 シンポジウム「〈間主観性の現象学〉とその地平」
提題:鈴木崇志(京都大学・日本学術振興会),田口茂(北海道大学)
コメンテーター:浜渦辰二(大阪大学)
司会:佐藤駿(東北大学)
*シンポジウム開催趣旨はこちら
19:00-21:00 懇親会(会場は未定ですが、立命館大学衣笠キャンパス近辺のお店にて、4000円程度の会費で行う予定です)
参加希望者は、なるべくはやめに幹事松井(matsui.t.m.takaaki[at]gmail.com)までご連絡ください。
3/12
10:00-11:20 綿引周(東北大学)「超越論的現象学は超越的認識の「謎」を解きうるのか」
11:20-11:30 休憩
11:30-12:20 ミーティング
12:20-13:20 昼食
13:20-14:40 林遼平(神戸大学)「『危機』における「関心」分析と現象学の関心について」
特別講演(主催:立命館大学間文化現象学研究センター)
15:00-17:00 Inga Römer(ヴッパタール大学) “From Kant to the Problem of Phenomenological Metaphysics. In memory of László Tengelyi”
Römer氏の講演会のあとに、立命館大学間文化現象学研究センター主催による懇親会が開かれます。こちらに参加希望の方は、1月中に担当者の植村(uemura.genki[at]gmail.com)までご連絡ください(3/11夜のフッサール研究会の懇親会については上記を参照してください)。]]>
林遼平 「『危機』における「関心」分析と現象学の関心について」
http://husserl.exblog.jp/24885750/
2016-01-21T20:06:00+09:00
2016-01-22T15:15:01+09:00
2016-01-21T20:05:29+09:00
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研究発表要旨
フッサールは『イデーンI』の中で、関心と無関心についてほとんど言及していない。しかしながら『第一哲学』講義では、エポケーと還元の遂行が持つ特徴を明確にするために、 関心概念についての分析が多くなされている(VIII 92ff)。そこでは、関心は存在定立を遂行し、特定の価値付けおよび目的を素朴に前提とする作用として定義され、無関心な態度はそのような個々の関心に参与しないこととして規定される。また『デカルト的省察』でも、無関心な態度と、関心を持った態度とが、世界についての存在定立の観点から言及されている (I 73ff)。このことから、フッサールが現象学態度を明確にするために、1920 年代以降の探求において、関心概念の分析を重要視していたと想定される。『危機』における生活世界論と実践的関心との結びつきは、その思想的発展の最終的な帰結であるということになるだろう。
このような背景から推測して、『危機』における関心についての記述は、現象学的な態度とその意図を理解する上で、重要な位置を占めていると考えられる。しかしながら、関心についての主題的な論述は、これまでの研究においてほとんどなされておらず、わずかにハーバーマスが「認識と関心」論文において触れているのみであるが、その言及も『危機』の試 みを歴史的背景に基づいて、否定的な批判を加えたものであり、内在的な視点から評価した ものであるとは言い難い。したがって本発表は、まずフッサールが関心概念をどう定義して いるかを確認した後に、フッサールが『危機』において、日常的な関心と対比しつつ、現象学に固有な関心を「世界意識」の分析を主題とする普遍的関心として考えていたことを示す。]]>
綿引周 「超越論的現象学は超越的認識の「謎」を解きうるのか」
http://husserl.exblog.jp/24885739/
2016-01-21T20:02:00+09:00
2016-01-22T15:15:13+09:00
2016-01-21T20:02:14+09:00
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研究発表要旨
しかしソコロウスキーは「フッサールは超越のこの謎を解くあるいは解決すると主張しているわけではない」という。「実在性が直接、主観性によって構成される、すなわち実在性はその意味を主観性から受け取ると言った後でさえ、フッサールはその謎を蒸発させてしまったわけではない。実在性、すなわち意識に超越した何かがまさにその超越性において、意識にとってアクセス可能であるというパラドクスは残り続ける」(Robert Sokolowski, The Formation of Husserl’s Concept of Constitution, Ch. IV, pp. 134-5)。
1907年夏学期の『現象学の理念』講義では、客観の認識の理解しがたさというのは、認識がそれを「超越」したものに「的中」すると称されている点にあると述べられている。 認識のこの超越性を理解し損ねた(あるいは誤解した)ために、伝統的な認識論は独我論や懐疑論に陥ったのだが、本当にフッサールは、ソコロウスキーのいうように、この謎を謎のまま残しておいたのだろうか。
本発表ではソコロウスキーの見解に反し、フッサールは超越的認識の謎にある解決を用意していたことを示す。そのためにまず「超越的認識の謎」が何を意味しており、その解決とはどのようなものであるのかを明らかにする。そしてその謎を解くためにこそ、現象学的還元が方法原理として求められ、フッサールは「構成の問題」圏へと導かれたと論じる。だが超越的認識の謎を解くことが(フッサールのいう)「自然主義」にコミットする限り不可能である一方で、「構成分析」によってその謎が解かれうると考えるなら、超越論的現象学は何らかの反自然主義的な存在論ないし(狭義の)形而上学へのコミットメン トを前提ないし含意するはずである。本発表の残りの部分は「構成分析」という現象学の課題設定のもつ存在論的・形而上学的含意を引き出すことにあてられる。]]>
小手川正二郎 「真理と誠実さ:フッサール、レヴィナス、ウィリアムズ」
http://husserl.exblog.jp/24885721/
2016-01-21T19:59:00+09:00
2016-01-22T15:15:26+09:00
2016-01-21T19:58:59+09:00
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未分類
本論は、フッサール現象学の真理論を独自の仕方で継承した E・レヴィナスの議論を通じて、こうした問いに答えることを試みる。実際レヴィナスは、『全体性と無限』(1961年) で現象学的な真理概念を吟味し直し、他人との人格的関係のうちに「〈同〉と〈他〉の関係の様態としての真理」(Emmanuel Levinas, Totalité et Infini, Den Haag: Martinus Nijhoff, 1961, livre de poche, p. 59)を見出している。そうして彼は、他人との人格的な係わりを言表内容の真偽に先立つ「誠実さ」(sincérité)と呼び、これが言表内容の真偽を条件づけていると主張する― ―こうした主張は、第二の主著『存在するとは別の仕方で』においても撤回されることなく、むしろ徹底されている(Emmanuel Levinas, Autrement qu’être ou au-delà de l’essence, Den Haag: Martinus Nijhoff, 1974, pp. 18; 65)。レヴィナスが「誠実さ」と呼ぶものは、いかなる事態を指 し、言表内容の真偽性をいかなる形で条件づけていると言えるのだろうか。こうした問いを考えるにあたって本論は、レヴィナスが絶えず参照し続けるフッサールの真理概念に立ち戻ると同時に、真なることを語ることと誠実さの関係について独自の考察を展開しているバーナード・ウィリアムズの議論(Bernard Williams, Truth and Truthfulness, Princeton: Princeton University Press, 2002, chap. 5)にあたることで、レヴィナスの考察の意義をより具体的な仕方で明らかにすることを試みる。]]>
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