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小手川正二郎 「レヴィナスにおける還元の問い」
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いわゆる「ブリタニカ」論文執筆にあたって、フッサールとハイデガーの間で超越論的還元の意義をめぐる係争がなされた翌年から、二人のもとで学び始めたレヴィナスは、両者の争点になっていた「還元の出発点」、「還元はどこから」という問いを自らの課題として受け止め、やがてそれを「他者」という全く新たな次元で考えていくことになる。この意味でレヴィナスの哲学は、現象学的還元論の徹底した形態という側面を有している。本論は、レヴィナスがハイデガー的問題提起を自らの問いとしつつ(『フッサール現象学の直観理論』)、絶えずフッサールに立ち戻って還元の問題を検討し続ける(『全体性と無限』、『存在するとは別の仕方で』)ことで、彼が「還元」をめぐる問題のうちに何をもたらしたのか、そしてそれが現象学においていかなる意義と問題性を有しているのかを問おうとする。

フッサールは、超越論的還元によって、あらゆる存在者がそこにおいて構成されるような超越論的主観性という次元を開き、無批判な諸前提を有した学をその超越論的哲学から分離し、人間を捉え直す新たな問題次元を提供した。しかし、フッサールにおいて還元は学的必然性を有してはいるが、それが「理論の自由」に基づいて遂行される限り、存在論的必然性をもたない。したがって、還元がなぜほかならぬ「私」のもとで遂行されねばならないのか、という問いは原理上生じえない。ハイデガーは、「還元の出発点」である存在者(現存在)の存在の仕方を問い、還元を現存在の内的可能性として捉え直した。しかし、このようにして超越論的自我と自然的・人間的自我との区別を廃棄したことで、ハイデガーにおいて還元の問いは、「明示的には」考察されなくなる。還元は、現存在としての人間のもとで、ある時たまたま生じるとしか言えなくなるのだ。

レヴィナスは、ハイデガー的問題関心を引き継ぎながらも、還元の必然性を問い続けることで、還元がなぜほかならぬ「私」のもとで遂行されねばならないのか、という問題に接近して行く。具体的には、それは「私」の成立に先立っているのでなければならない「他者」という次元で考えられることになるが、重要なのはこの必然性が哲学の「理論への志向」に孕まれた「理論の自由それ自体を審問する批判の可能性」を通じて導出されるということだ。この姿勢は晩年においても維持され、例えば『観念に到来する神について』では、『イデーンI』における無反省的明証の二義性に注目することで、還元を絶えざる確実性のプロセスとしてではなく、確実/不確実という水準を越えた「精神の覚醒」として捉えようとしている。このような解釈をフッサールに立ち戻って検討することで、フッサール、レヴィナス双方に問題提起をしていきたい。
by husserl_studies | 2007-01-11 23:55 | 研究発表要旨
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