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吉竹浩克 「『論理学研究』における知覚の構造について」
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フッサールが「端的な知覚」と呼ぶ作用は、彼自身の「端的な知覚、われわれにとって同じものとして見なされるが、感性的な知覚…」(XIX/2,679)、「われわれは端的な直観を感性的な直観と名付けた」(XIX/2,712)といった言葉によって、一般的に感性的知覚と同義またはその別称とされる。しかしフッサールはなぜ「感性的」を「端的な」という形容詞に言い換える必要があるのか。また本当に「感性的知覚」は「端的な知覚」と精確な意味で同義と言えるのか。本稿はこの「端的な知覚」と呼ばれる作用の構造分析とその役割の解明を目的とする。
『論研』第六研究第一篇において、フッサールは極めて詳細な知覚内成素分析を行っている。すなわちフッサールは「あらゆる作用は一般的にそれ自身客観化作用であるか、客観化作用を基礎に持つ」(XIX/2,624)とする一方で、客観化作用に属する知覚は三種類の原初的志向Elementarintention、すなわち純粋直観(感覚与件を提供する)、表意的志向(感覚与件を統握する)、隣接性志向(対象の裏面などを表象する)による統一作用であるとする。知覚はこうした統一構造を持つが故に、意義志向と合致する以前に、作用そのものが充実化された作用と呼ばれ得る。しかし第二篇に入り、範疇的直観の問題を扱うことになるやいなや、フッサールは第一篇で獲得された意識内成素の考察結果またはその理論を用いることはなく、範疇的形式も充実化されうるということ、範疇的直観も知覚と同じ代表象であることの論証に努めるに留まる。したがって、第一篇と第二篇は連続していながらも、両者の綿密な理論的関連性が際立つことはない。
そこで本稿は、まず第六研究第一篇において原初的志向にまで還元されて考察された知覚理論を、あえて第六研究第二篇の範疇的知覚へと徹底して代入し、範疇的知覚の構造を捉え直していく。つまり範疇的知覚の内的構造を、原初的諸志向の統一という観点おいて考察を行うのである。そしてこのことが、逆に全く範疇的に形式化されないとされる「端的な知覚」の構造を明らかにしていくことになる。また一方で範疇的知覚と対置される感性的知覚に属するべき作用の特性をも確定していくことにする。そして最終的に、一見、感性的知覚の単なる別称と捉えることもできた「端的な知覚」は、必ずしも感性的知覚と同義ではないということ、つまり「端的な知覚」と呼ばれ得る作用に与えられた特殊な機能と、またその機能にこそ『論研』における現象学的分析にとって極めて重要な方法的基盤としての役割が与えられていたことを証明する。
by husserl_studies | 2007-01-11 23:53 | 研究発表要旨
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