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村田憲郎「「実在概念」としての範疇:ブレンターノ『存在者の多義性』に見る存在論」
「最もよく引用される哲学者の一人だが、最も研究されることの少ない哲学者の一人」と言われるF.ブレンターノであるが、われわれフッサール研究者にしても、「志向性」を現代にもたらし現象学への道を開いたものの、「超越論的」次元に至ることのなかった「経験的」心理学者というイメージを抱きがちである。しかしこうした印象は、彼の処女作『アリストテレスによる存在者の多義性』(1862)におけるアリストテレスの範疇についての解釈を見る限り、修正を迫られよう。そこで探求されているのは「存在者としての存在者」とは何かという存在論の問題であるが、そこでの立場は経験主義的でもなければ心理主義的でもない。その後彼がどのように発展していったにせよ、出発点のこの立場を確認することは有益なことであろう。

本論ではこの著作におけるブレンターノ自身の立場を、異なる二つの立場と対比しながら際立たせたい。彼自身の整理によれば、当時「範疇」の地位をめぐって三つの立場があった。第一に、ツェラーに代表される、範疇とは実在的概念ではなく概念の「骨組み」であるとする立場。第二に、トレンデレンブルクに代表される、範疇とは言表における述語の概念であり、文法的形式の相違を反映して成立したものとする立場。第三に、ボーニッツに代表される、範疇とは存在するものそのものについての、実在的概念であるとする立場である。

第一の立場は、実在世界の手前または背後にあるいわば「英知界」にアプリオリな概念枠として範疇を位置づける点でカントやプラトンに近く、その意味で「観念論的」であると言える。第二の立場は、経験的な言語形式を徴表とするので明瞭ではあるが、アプリオリな基礎づけを失い経験主義に陥る危険がある。そしてブレンターノ自身は第三の立場に与しているが、この立場は実在世界そのもののうちにアプリオリな秩序が見出され、その支えとして範疇を位置づける立場であると言えよう。
またこの関連で、範疇と並んで存在者の多様な意味の一つとして挙げられる「真・偽としての存在者・非存在者」の位置づけについても扱う。

最後に戦後日本の議論(安藤孝行)にある、ブレンターノは三つの立場を「綜合」したとする、本発表の主張と一見異なるが実質的に融和不可能ではない見解についてもコメントしておきたい。
by husserl_studies | 2013-01-20 23:33 | 研究発表要旨
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