本報告では、フッサールの時間論および受動的綜合の分析を用いて、それらと近代西洋音楽の楽譜との関連から音楽のコミュニケーションの可能性を検討する。西洋音楽は、限定的な地域の一時期に生まれた民族音楽であるが、近代以降その他の音楽に類を見ない発展を遂げた。その理由は、マックス・ウェーバーの『音楽社会学』(Weber [1921] 1956= [1967] 2000)によると、音楽が芸術に目覚めたことから音楽の合理化がなされた、すなわち近代的記譜法――楽譜に音の高低や音長を音符で記すこと――が発明され、さらに楽器と音律が発明されたからである。ここでは楽譜とフッサールの知見とを関連づけよう。
楽譜は、作品を後世に残し合奏を可能にする、同時代のみならず時を越えて音楽を介した他者との意思疎通を可能にするものである。たとえば、ベートーヴェン(1770-1827)は難聴を患いながらも多作したが、われわれがその作品を弾くことができるのは楽譜のお陰である。ここでは、音楽を演奏したり聴いたりする行為とはどのようなことなのか、フッサールの時間図表と楽譜を用いて明らかにする。フッサールによると、いま鳴り響く音は原印象にあり、根元的意識とその内部で原的に意識されている与件が、共に把持的変様を受けて把持的意識に沈殿する(『内的時間意識の現象学』(Husserl 1966a: 119= [1967] 1974: 164)。音を聴く体験とは、こうした把持的意識の面的な積み重なりのことである。そしてわれわれは、受動的綜合の「連合」(『受動的綜合の分析』(Husserl 1966b: 117=1997: 173)の働きによって、鳴っては消え去った音を把持し音楽として経験する。フッサールは、これを時間図表によって示した。さらにここでは、フッサールと少し異なる見解を二つ示そう。第1に、楽譜は多様な長さの音が組み合わさっていることからも明らかなように、各時間位相はフッサールが描いたような等間隔ではないということ。第2に、楽曲の休符は音が無くとも重要な楽曲の構成要素であり、特に奏者は休符から既に演奏は始まっていると考えるため、時間図表は第1音ではなく、休符から始まる場合もあるということである。 また難聴のベートーヴェンに合奏は可能であったのだろうか。たとえば当時、作品を献呈された奏者は自筆譜を見て演奏し、作曲家は記憶をたどって伴奏をした。しかし、難聴が進行するに従いベートーヴェンにとって合奏は困難になっていた。それは、両者が異なる時間図表を描くということである。ここでは、ベートーヴェンが恐れたコミュニケーションの齟齬、およびそれがどのように克服されたのかを検討する
by husserl_studies
| 2011-01-24 16:35
| 研究発表要旨
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