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池田裕輔
「エトムント・フッサールの超越論的観念論への「非存在的」批判としてのオイゲン・フィンク『第六省察』での超越論的方法論の理念

発表要旨:『第六デカルト的省察』1(以下『第六省察』)はフッサールの依頼により、当時の助手であるオイゲン・フィンクが著したものであることから、『第六省察』はフッサールの「現象学の現象学」という構想の忠実な実現と見做されてきた。しかし、他方でロナルド・ブルジーナによるフィンクの遺稿の紹介によって、当時のフィンクがフッサール現象学への省察と独立した仕方でいわゆる「非存在論(Meontik)」の構想に取り組んでいたことも知られている。後者の立場からすると、『第六省察』はフィンクの「非存在論」のためになされた助走として位置づけられることとなる。発表者は基本的には後者の立場を支持するものであるが、『第六省察』がフッサールの超越論的観念論の用語を駆使し、その体系に従い記されているという事実を無視して、フィンクのフッサール的な「現象学」から「非存在論」の思惟への跳躍を強調するという解釈は、『第六省察』を単に一人の忠実な弟子によるフッサールの構想の実現と位置づける解釈同様に抽象的な立場に留まっていると言わざるを得ないであろう。よって発表者はこの二者択一的な解釈を退け、『第六省察』をフィンクによって遂行されたフッサールの超越論的観念論へのあくまで現象学的な内在的批判、要するにフィンクのフッサールからの独特な離反と葛藤が具体的な仕方で表されたテキストとして読み直すという作業に従事する。その際、近年刊行されたオイゲン・フィンク全集所収の草稿2の精査を通じて上述した標語的な二者択一的解釈の土台は取り崩されることとなる。発表者は形式上、上述したフィンクの「非存在論」の構想の下に『第六省察』を位置づける立場を補完する議論を提供することとなるが、フッサールの現象学の成果を超越論的観念論の含む幾つかの形而上学的命題から解放し、フッサールの「現象学」やハイデガーの「存在論」といったパースペクティヴには収まりきらない、『第六省察』を通じてフィンクの「非存在的現象学」とでも名付けられるべきあくまで現象学的な未完の構想の再構築を遂行するものである。
by husserl_studies | 2009-12-27 13:53
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