感情のロゴス、理性のパトス
――フッサールによる定言命法の現象学的解釈をめぐって―― フッサールの倫理思想は、「感情道徳」と「悟性道徳」とによる論争において、双方の立場が見落としていた「感情の合理性」を見いだすことをその特徴としている。意志や評価の作用が認識や判断と同じような合理性をもっていることを明らかにすることは、フッサールの倫理思想の一貫したモチーフであったと言えよう。とはいえ、その倫理学は、ゲッティンゲン時代(1901-1916年)からフライブルク時代(1916-1928年)へと異なった相貌を見せており、この変化はフッサール現象学そのものの変化としても興味深い意味をもっている。フッサールによる「定言命法」の現象学的解釈を明らかにすることは、感情の合理性の意味やその思索の変化を知る手がかりとなるだろう。 ゲッティンゲン時代に理解された「定言命法」は、ブレンターノの発想を受け継いだ「形式的価値論」「形式的実践論」の枠組みのなかで、「一貫性の法則」や「価値の吸収法則」との関連においてとりあげられている。「あまり価値がないもの」は「より価値のあるもの」へと「吸収」されるが、もはや他の何ものによっても吸収されることのない価値が「それ自体における価値(内在的価値)」である。「最善を為せ!」という定言命法は、こうした価値吸収の法則から学的に基礎づけられうると考えられていた。形式的価値論・実践論は、カントの形式主義的倫理学を学問的に根拠づけたものにほかならなかった。 しかし、こうした論理学との類比の発想から生じた形式的実践学や価値論は、定言命法が要求する意志そのものの善さ(倫理性)を検討するのに十分な方法であるとは言いがたい。フライブルク時代のフッサールは、『イデーンⅡ』で展開された「精神の存在論」を踏まえて、「生の評価」という問題から倫理学を展開しており、そこでは、価値の比較が人格の生の満足との関連において考察されるようになる。絶対的価値というのは、人格が最も満足できる価値であり、絶対的価値が無条件的な当為として迫ってくるとき、人格はこの価値に向けて「犠牲」や「献身」を行うことになる。価値比較において価値は吸収されるというよりも犠牲にされるのであるが、ここで機能する志向性は、比較考量する知的な価値評価(悟性)ではなく、情感的契機をともなった志向性(愛や憧れ)とみなされている。 フライブルク時代の定言命法は、無限の理想という絶対的価値への献身を要求するものとなっており、そこに献身することが人格個人の浄福を意味するような「召還・職業(Beruf)」を指し示すものとなっている。
by husserl_studies
| 2006-03-10 06:39
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フッサール研究会
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