現在、新しいホームページを以下で構築中です。新しい情報は今後、以下のページにて公開していきます。
フッサール研究会(https://sites.google.com/site/husserlstudiesjpn/) 最新の情報は以下になります。 当ブログの内容も少しずつ上のページに移していきますので、リンクの貼りかえなど、よろしくお願いいたします。 今後ともフッサール研究会をよろしくお願いいたします。
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by husserl_studies
| 2017-07-24 18:28
| その他
メルロ=ポンティの主著を引き合いに出すまでもなく、フッサールにおけるその端緒から、知覚の分析は現象学において中心的な役割を果たして来た。直観における明証にその最終審級を求める方法論的態度と、直観による充実化との相関において個々の作用の志向的内容を特徴づける志向性理論のアイデアは、初期の現象学において既に知覚にある特権的位置を与えていたものである。無論のこと、認識論的な哲学の体系の中で知覚に何らかの中心的な位置を与えること自体はさほど珍しいものではない。しかしながらそれ以前の哲学の伝統における知覚の扱いに対して現象学におけるそれを特徴づけるものがあるとすれば、それはフッサールやメルロ=ポンティといった人々による知覚の分析が、まさに個々の具体的な知覚という現象の様々な奥行きと多様性に寄り添った分析であったことだろう。こうした、具体的な経験の肌理細やかな豊かさを掬い取るという方針は、多くの現象学者が他の哲学的伝統に対して己に誇って来たものである。
こうした特徴づけは、そうした具体性に即した知覚の分析が現象学以前においても存在しなかったわけではないという点においていささか誇張を含んではいるが、フッサールやメルロ=ポンティの果たした仕事の意義を評価する、という点では眼目のないものではないだろう。とはいえ、フッサールはもちろんのことメルロ=ポンティの没年から数えても、既に五十年以上が経過している。その後の現象学研究において、知覚の分析が常に研究のメインストリームであったとは到底言えないし、また数十年前の現象学者の果たした仕事がどれだけ偉大であれ、現在においても現象学が知覚の分析の最先端であるということはそこからは帰結しない。近年、知覚の分析において目覚しい研究成果がフッサール研究の業界を賑わす、といったことはあまり眼にしないのではないだろうか。 こうした視点から見ると、近年の知覚論研究はむしろ認知科学や分析哲学の方面で活況を呈している。日本においても知覚論を専門とする若手の分析哲学者が活発に活動しているし、2014年にウィリアム・フィッシュの定評ある入門書が邦訳されて以降、こうした分析哲学における知覚論の隆盛はぐっと近づき易いものになったと言えるだろう。それに比べて、現象学研究における知覚論研究は下火になってしまったようにも見える。 そうした状況の中、このフッサール研究会でも創設期から活躍されていた、フッサール現象学にも造詣の深い染谷昌義氏の著書『知覚経験の生態学:哲学へのエコロジカル・アプローチ』が今年刊行された。だが、染谷氏の著書は、現象学から多くのヒントは得ているものの、知覚は誤らないという主張のもと知覚の表象的性格を否定し、環境の存在論からのアプローチを主張して現象学をはじめとする方法論的独我論を批判するなど、現象学研究者にとって手放しで味方として歓迎できるものとは言い切れない。認知科学・心理学の分野とも接しながらもやや異色なこのエコロジカル・アプローチからの刺激的な提案を受けて、知覚論研究の今後についてどのような展望が拓けるだろうか。今回のシンポジウムでは、同書著者の染谷昌義氏に問題提起をいただき、分析哲学の知覚論に詳しい小草泰氏、フッサール研究者であり分析哲学の議論にも通じている葛谷潤氏に、染谷氏の議論に検討を加えていただく。 #
by husserl_studies
| 2017-03-22 10:46
| 研究発表要旨
研究論文
小手川正二郎 林遼平 栁川耕平 綿引周 特集「〈間主観性の現象学〉とその地平」 田口茂 鈴木崇志 フッサール研究会特別企画「田口茂『現象学という思考』合評会」より 佐藤駿 納富信留 山田圭一 田口茂 フッサール研究会特別企画「フッサールの新資料を読む(4)」より 山口弘多郎 吉川孝 フッサール研究会特別企画「フッサールの新資料を読む(5)」より 村田憲郎 吉田聡 フッサール研究第14号 2017年3月 目次(PDF版) ★★ 論文の著作権は各著者に属する。また無断転載を禁じる。 凡例 本誌におけるフッサールの引用・参照は、基本的に『フッサール全集』(Husserliana) にもとづく。『全集』の巻数とページ数は、それぞれ大文字ローマ数字、アラビア数 字で示される。(ただし、編者による序文の引用・参照の際には、小文字ローマ数字 が用いられる。)なお、Husserliana Materialien からの引用にあたっては、巻数の前に 「Mat.」という略号が添えられる。 編集:鈴木崇志 #
by husserl_studies
| 2017-03-16 16:01
| 『フッサール研究』
超越論的現象学という哲学的プログラムに好意的なフッサール解釈者にとって、世界無化の考察は悩みの種であり続けてきた。『イデーンI』第49節でフッサールは、世界が無化された後にも意識が残り続けることを示すというそれ自体かなり問題含みの議論(この議論は第二節で詳しく取り上げる)から出発して、次の二つの主張へと至っているように見える。
(1) 意識は完結した内在的領域であり、物的な世界から独立して存在する。 (2) 物的な世界は志向的な存在であり、それに相関する意識に相対的にのみ存在する。 (1)によって意識の依存的存在という一見すると自明な考えが否定され、他の何にも依存しないといういみでの絶対性が意識に対して認められる。そして(2)によって、物的な世界が意識から独立して存在するというこれまた一見すると自明な考えも否定される。これら二つの主張は、額面通りに捉えるならば、物的な世界にはそれに属さない存在論的基盤があり、その基盤は非物的でいわば「心的」ないし「精神的」であるという主張へと通じているように見える。これが超越論的現象学の形而上学的含意のひとつだとすれば、フッサールが後に自分の立場を超越論的「観念論」と呼んだことには納得がいく。だが、そうした強い形而上学的見解を帰属させることは、フッサールを今なお真剣な検討に値する哲学者ではなくしてしまうのではないだろうか。こうして好意的な解釈者の多くは、フッサールの超越論的観念論を信じがたい立場にしないために、世界無化の考察をうまく処理するという課題を引き受けることになる。このとき典型的になされる評価は、『イデーンI』の世界無化の議論は、フッサールが本来ならば行うべきものではなかったものであり、実際にこの議論から帰結する見解をのちのフッサールは克服しているというものである**。 だが、実情はこのようにまとめることができるほど単純ではないように思われる。というのもフッサールは、1920年代以降にもいくつかの講義や研究草稿で(ときに『イデーンI』に明示的に言及しつつ)世界無化の考察をふたたび取り上げるからである。それらの講義や草稿には「世界なき意識は可能か」という問いを開かれたままにしているものも含まれるが、少なくとも明確な答えが与えられている場面では、フッサールは(ほとんど)いつでも『イデーンI』の立場を保持し続けるのである***。そのため、世界無化の議論が何を示しているにせよ、それをフッサールの公式見解から除外するような解釈は修正的・改定的なものであると言わざるを得ない。 およそこのような事情を背景に、われわれは本論で『イデーンI』の第47節から第49節を読み直したい。われわれの考察は以下のように進む。「1. 議論の文脈」では、『イデーンI』当該箇所をそれが含まれる同書第二篇の議論の脈絡の中に位置づける。「2.『イデーンI』第47–49節」では、そうした文脈を踏まえたうえで、関連する講義・草稿を適宜参照しながら、第47節から第49節での議論を追跡する。これら二節での作業を通じて、『イデーンI』第47節から第49節におけるフッサールの議論は、現象学的還元という操作を経ずに、つまり自然的態度の中に留まったままで超越論的観念論の主要テーゼである(1)と(2)を導くものとして姿を現すことになる。最後に、この帰結を踏まえ、現象学的還元の役割とその後のフッサールの超越論的現象学の展開についていくつかの所見を述べる * 本発表は、発表者が2013年に哲学会のワークショップで行った報告の改訂版である。 ** Cf. Rudolf Bernet, La vie du sujet (PUF, 1994). ***例えば以下を参照。VIII: 55, 74 [WS 1923/24]; Ms. F IV 3, 57a [wohl 1925]; XXXIX: 221 [wohl 1926]; III/2: 634–635 [um 1928]; XXXIX: 224–230 [wohl 1930]; Ms. B I 13 VI [1931]; XV: 151 [wohl Ende 1930, oder 1931]; XXIX: 85 [1935]. #
by husserl_studies
| 2017-02-14 23:09
| 研究発表要旨
ミュンヘン学派の現象学的美学者M・ガイガー(1880–1937)は、美学という学問のうちに二つの可能性、すなわち「事実美学Tatsachenästhetik」と「価値美学Wertästhetik」を認めている。ガイガーの美学研究の大部分は、主観の美的態勢にかんするものであり、たとえばその代表が初期論文「美的享受の現象学への寄与Beiträge zur Phänomenologie des ästhetischen Genusses」(1913)における美的享受の心理学的研究である。しかしながらかれの念頭にはつねに価値美学の構想があったのであり(「美学は美的価値の学問である。」)、この論文においてもすでに価値美学的問題の重要性が示唆されている。そして、このような立場は遺稿「芸術の意義Die Bedeutung der Kunst」(1976)において、とりわけ心理学的方法による事実美学(そのほかには、社会学的、歴史学的、進化論的な美学)との対立のうちで提示されているのである。ガイガーは二つの異なる美的体験様式に注目することによって、事実美学と価値美学の対立、その原因を説明している。つまり、美的体験様式のうち「享受Genuß」を開始点とする場合において美学は事実学となり、「適意Gefallen」を開始点とする場合にそれは価値学となるのである。享受と適意はいくつかの観点にもとづいて区別されることになるが、とりわけ重要であるのは、もっぱら適意という体験様式においてのみ価値が捕捉されるということである。「適意には分別がありsehend、享受は盲目blindである。」こうしたことを確認しながら、本発表においては、「美的享受の現象学への寄与」および中期論集『美学への通路Zugänge zur Ästhetik』(1928)を参照しつつ、最終的に「芸術の意義」において結実する(あるいは、するはずであった)かれの価値美学の全体像を描き出すことにしたい。
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by husserl_studies
| 2017-02-14 23:08
| 研究発表要旨
●日時: 2017年3月25日(土)
● 会場:東京大学 法文2号館 一番大教室 http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_01_02_j.html ● 参加費: 500円(資料代およびお茶代) ● プログラム: 10:00-10:30 受付 10:30-11:50 植村玄輝(岡山大学)「フッサールによる「世界無化」の考察は何をどこまで示したのか:『イデーンI』§§47–49再訪」(要旨) 11:50-12:30 ミーティング 12:50-13:30 昼食 13:30-14:50 峯尾幸之介(早稲田大学)「M・ガイガーによる価値美学の基礎づけ」(要旨) 14:50-15:00 休憩 15:00-18:00 シンポジウム「知覚は誤らないのか:エコロジカル・アプローチをめぐって」(主旨文) 提題:染谷昌義(高千穂大学)、葛谷潤(日本学術振興会特別研究員)、小草泰(慶應義塾大学) 司会:富山豊(東京大学) 18:30-20:30 懇親会(会場未定) #
by husserl_studies
| 2017-02-14 23:06
| フッサール研究会
日時:2016年11月25日(金)
*開始・終了時間は、下記の仮タイムテーブルから変更される可能性があります。 会場:高千穂大学1号館1階 1103教室 *キャンパスへのアクセスはこちらを、キャンパス内の地図はこちらを参照してください。 報告者:富山豊(東京大学)、秋葉剛史(千葉大学) 企画・司会:植村玄輝(岡山大学) 開催趣旨 今世紀に入ってからのフッサール研究に特有の事情の一つとして、全集『フッセリアーナ(Husserliana)』をはじめとした一次資料の刊行される勢いが明らかに増したということがあげられる。1950年の刊行開始から2000年までのちょうど50年では、(分冊も別々に数えるならば)合計32冊が全集として世に送り出されており、フッサールの一次資料が公になるペースは、平均すると一年に0.64冊でしかなかった(『フッセリアーナ記録集(Husserliana Dokmente)』第三巻として刊行された全10冊の書簡集のうち、索引を除く9冊をそこに加えたとしても、平均刊行ペースは一年に一冊に満たない0.82冊である)。それに対して2001年から2015年までの14年間では、『フッセリアーナ』として14冊、2001年に新設された『フッセリアーナ資料集(Husserliana Materialien)』として9冊が出版されている。つまり今世紀に入ってからは、一年に約1.71冊というそれまでの三倍弱(あるいは二倍以上)のペースで一次資料が新たに登場しているのである。もちろんこれらの資料には分量にも難度にもばらつきがあるため、単純な計算だけから結論を導くことはいささか安易ではある。だがそうはいっても、気づけば次の巻が出ているというここ十年あまりの状況を目の当たりにして途方に暮れたフッサール研究者は少なくないのではないだろうか。これでは全部を読むことはもちろん、読んだふりをすることさえできないよ、と。 以上のような事情によりよく対処することを目的した研究会の第六弾として、今回は『フッセリアーナ資料集』第1巻『論理学:1896年講義』(2000年刊)と『フッセリアーナ』第40巻『判断論についての研究』(2009年刊)を取り上げる。ボルツァーノの大著『学問論』(1838年)をフッサールなりの観点から辿り直す1896年講義を収めた前者は、『論理学研究』で表明される純粋論理学の構想の前史をなす、最重要資料である。また、同講義で論理学の対象として導入されるイデア的な意味とその分類をめぐる議論は、フッサールがその後集中的に論じることになる判断とその志向性に関する問題を(事実上)先取りしている。そして、この問題に深く関連するフッサールの1890年代前半から1918年までの草稿を収めたものが後者である。これらの草稿では、命題の分類、命題と事態、真理と存在、論理学の対象などといった純粋論理学・形式的存在論に属する問題が、判断の志向性に関する分析と密接に関係づけられつつ論じられている。 内容上深い関係にある二つの巻を同時に取り上げることによって、初期から中期にかけてのフッサールにおける学問論・判断論に関する理解が深められることが期待される。当日は、富山豊氏が『論理学』を、秋葉剛史氏が『判断論についての研究』を担当する。 タイムテーブル(仮) 16:00~16:10 司会者による趣旨説明とイントロダクション 16:10~16:50 報告1:富山豊『論理学』 16:50~17:30 報告2:秋葉剛史『判断論についての研究』 17:30~17:45 休憩 17:45~19:00 ディスカッション #
by husserl_studies
| 2016-10-11 21:00
| フッサール研究会特別企画
皆様
第15回フッサール研究会は、2017年3月25日(土)と26日(日)に、東京大学本郷キャンパスにて開催されることになりました。 つきましては、シンポジウムのテーマ・プラン、および、個人研究発表の募集を行います。 以下の要項をご覧の上、ご応募、ご提案をお願いいたします。 特にシンポジウムに関しては、皆様の斬新なアイディア、ご希望をお待ちしております。 -------------募集要項ここから---------------- 【シンポジウムのテーマ・プランの募集】 ★締め切り: 2016年11月15日(火) ★宛先: フッサール研究会連絡係・松井(husserlkenkyukai@gmail.com) ★応募要領: 上記宛先まで、次の三点をお知らせください。 (1) テーマ・タイトル (2) パネリスト・司会者の候補(可能であれば、適任と思われる方のお名前を挙げてください) (3) その他(シンポジウムの内容に関する具体的アイディアなど) ご提案は(1)のアイディアのみでも構いません。また、(3)について詳しい内容をお示しいただける場合は、800〜1000字程度の概要を添えてください。 皆様のご提案をもとに、企画実行委員会での審議の上で最終的に決定とさせていただきます。 その際、ご提案の一部のみを採用すること、また、応募多数の場合には採用を見送ることもありますので、あらかじめご了承ください。 【個人研究発表の募集】 ★締め切り: 2016年12月10日(土) ★宛先: フッサール研究会連絡係・松井(husserlkenkyukai@gmail.com) ★応募要領: 上記宛先まで、次の四点をお知らせください。 (1) 氏名 (2) 所属(無所属も可) (3) 連絡先(メールアドレス、住所、電話あるいはファックスの番号など) (4) 論題と発表要旨(800〜1000字程度) なお応募が多数となった場合は、お送りいただいた要旨とこれまでのご発表実績等に基づいて、発表者を調整させていただきます。あらかじめお含みおきください。 ------------募集要項ここまで-------------- シンポジウム企画と個人発表の応募締め切りが異なっておりますので、ご応募の際はご注意ください。 本メールは転送自由です。皆様のお近くに興味のありそうな方がいらっしゃいましたら、お声かけしていただけますと幸いです。 多くの皆様からのご応募をお待ちしております。 2016年10月3日 フッサール研究会企画実行委員会一同 #
by husserl_studies
| 2016-10-11 20:53
| フッサール研究会
昨年より活動を開始しているThe Open Commons of Phenomenology
http://ophen.org にて、『フッサール全集(Husserliana)』第1巻から第28巻の無料公開が開始されました(編者序文を除く。また、第6巻、第20/1巻、第20/2巻は現時点では公開範囲外)。 以下のリンク先をご参照ください。 http://ophen.org/series-506 #
by husserl_studies
| 2016-04-12 09:56
| その他
研究論文
石井雅巳 「『全体性と無限』における享受論の実在論的読解---レヴィナスはいかなる意味で現象学的か」 加藤康郎 「人はなぜ描くのか---現象学的美学の可能性について」 高山佳子 「フッサールの倫理思想とケアの倫理---ケアの倫理の哲学的原理的探求に向けて」 特集「情動の哲学と現象学的感情論」 陶久明日香 「情状性/気分の規定力」 服部裕幸 「情動(emotion)の問題について」 八重樫徹 「価値に触れて価値を知る---フッサールと情動の知覚説」 特別寄稿 ニコラ・リベラティ(訳:大家慎也・植村玄輝) 「私たちはボーグか?---技術による集合体としての主体をめぐって」 フッサール研究会特別企画「フッサールの新資料を読む」より 葛谷潤 「『知覚と注意』(XXXVIII)に関する報告」 鈴木崇志 「『論理学研究補巻』第2分冊についての報告」 植村玄輝 「フッサールの新資料を読む 『一般的認識論---1902/03年講義』」 八重樫徹 「道徳における客観性と感情---『倫理学入門』を読む」 佐藤駿 「『論理学研究 補巻 第一部』を読む」 松井隆明 「存在と証示可能性 『フッセリアーナ』第36巻『超越論的観念論』を読む」 フッサール研究第13号 2016年3月 目次(PDF版) ★★ 論文の著作権は各著者に属する。また無断転載を禁じる。 凡例 本誌におけるフッサールの引用・参照は、基本的に『フッサール全集』(Husserliana) にもとづく。『全集』の巻数とページ数は、それぞれ大文字ローマ数字、アラビア数 字で示される。(ただし、編者による序文の引用・参照の際には、小文字ローマ数字 が用いられる。)なお、Husserliana Materialien からの引用にあたっては、巻数の前に 「Mat.」という略号が添えられる。 編集:佐藤駿・鈴木崇志 #
by husserl_studies
| 2016-03-08 09:18
| 『フッサール研究』
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フッサール研究会
連絡先
husserlkenkyukai@gmail.com 〒564-8680 大阪府吹田市山手町3-3-35 関西大学文学部 三村尚彦研究室内 フッサール研究会事務局 企画実行委員一覧 雑誌『フッサール研究』 ISSN 2432-0552 創刊号(2003.3) 第2号(2004.3) 第3号(2005.3) 第4号(2006.3) 第5号(第4号の再編集版含む)(2007.3) 第6号(2008.3) 第7号(2009.3) 第8号(2010.3) 第9号(2011.3) 第10号(2013.3) 第11号(2014.3) 第12号(2015.4) 第13号(2016.3) 第14号(2016.3) フッサール研究会旧ページ フッサール・データベース 日本現象学会 The Open Commons of Phenomenology カテゴリ
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