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玉置 知彦
「現象學と唯識論― 相關關係のアプリオリと唯識三性説 ― 」

『現象学の理念』に示されてゐる現象學的考察の三段階を參照することで、『成唯識論』の唯識三性説を解讀する。

唯識の三性説とは、三つの存在の形態のことであり、それぞれ「遍計所執性」、「依他起性」、「圓成實性」である。現象學的考察の三段階では、現象學的還元の理解が次第に深まることにより、内在と超越の概念が精練され、現象や現出、現出者、更には構成の意味が明確に示される。對應させると次の通りである。

還元がなされるまでは、意識流である識體は「遍計所執性」といふ超越的客觀化に囚はれてゐる。現出者のみが實體的に捉へられ、それに執着してゐる状態である(考察の第一段階)。しかし、還元によつて「依他起性」といふ所與性の大陸に導かれる。所與の現象は内在ではあるが、その中で内在と超越は明確に區別されず與へられるがままにある、これが現出の領野である(考察の第二段階)。この所與の中で、現出者とその諸現出が明確に統一的に捉へられることで、「圓成實性」が成就する(考察の第三段階)。

唯識三性説をこのやうに理解すると、三性の相互の關係についての謎めいた記述も氷解する。「依他起性」が「遍計所執性」を遠離したものと云ふ表現は、超越者性を捨象したものといふことである。「圓成實性」と「依他起性」との關係は、非異かつ非不異であるといふ表現は、現出者とその諸現出との同一性と差異性の關係に相當する。即ち、現象學で云はれる普遍的な相關關係のアプリオリが、唯識三性説の形で提示されてゐるのである。

本發表では、現象學的考察の三段階の内容を吟味することを通して、唯識三性説の記述が何を意味するのかを究明するものである。
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by husserl_studies | 2009-12-27 13:56
越後正俊
「明証概念の帰趨 ~『論理学研究』から『イデーンI』へ」(予定)

明証概念の帰趨 ~『論理学研究』から『イデーンI』へ(予定)
『論理学研究』では、「理念的な可能性という意味でいえば、あらゆる直観的志向には質料についてぴたりと適合する意味的な志向がある。」(Hua XIX/2, 607)とされる。

その上で「明証」とは、表現の持つ意味志向と直観による意味充実との綜合作用としての充実化の作用のことだとされる。ある対象を志向する際に重要なのは「質料ないし意味」であり、「質料のみが確保すべき充実関係にとって決定的なのである」(Hua XIX/2, 607)

他方『イデーンI』では、「明証とはその『核』の面からいえば、ある理性定立と、それを本質に適合するよう動機づけるものとの統一である。」(Hua III/1, 316)とされる。ある事物を知覚するとは、事物の直接的な現出から、正当化のための権利根拠を受け取っている理性定立のことに他ならない(Hua III/1, 314ff.)。

この発表では、『論理学研究』と『イデーンI』における、明証に関するこうした叙述の推移を支えている動機を摘出したい。具体的な見通しは以下のとおりである。『イデーンI』では対象を知覚しているのか、想起しているのか、あるいは幻覚しているのかといった、直観のされ方に関して区別を設けるばかりでなく、対象を可能的なものとしてとらえるのか、現実のものとしてとらえるのかといった「存在様相」の区別も立てる。存在様相の問題は作用の側から見れば、信念性格の問題であるということになる。

このうち前者のどのようにして直観されているかという系列は、直観性の『イデーンI』の第一篇第二章「自然主義的誤解」の理解にとって重要であり、後者の信念性格に関する論述は真理の問題にとって重要である。前者は同章でのいささか唐突な、力強い直観の権利の擁護につながっており、後者は理性の現象学を支える直接のファクターとなっていると考えることができるのではないか。こうした捉え方を明証に関する記述から読み取る試みをしてみたい。
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by husserl_studies | 2009-12-27 13:55
シンポジウムのテーマ:心理療法と現象学
 現象学の精神医学・心理学に対する密接な連関は、これまでも多くの論者によって語られてきたが、近年では、フォーカシング(focusing)という心理技法を提唱した臨床心理学者ユージン・ジェンドリン(Eugene Gendlin,1926-)が、現象学に対して積極的な言及を行っている。ジェンドリンは、ディルタイ、フッサール、メルロ=ポンティ、ハイデガー、サルトルらから強い影響を受け、さらにカール・ロジャースのもとでカウンセリング実習を積んで、「心理セラピーの効果は、身体的に感じられる体験過程(experincing)への直接的照合に依存している」と主張する。現在ジェンドリンは、この体験過程理論をさらに展開した「プロセスモデル」という「新しい哲学」も提唱している。
 そこで、今回のシンポジウムでは、フォーカシング研究の専門家である池見陽氏とフッサール研究会会員2名(村上靖彦氏、企画提案者三村)がパネリストとなり、現在の心理療法(ジェンドリンを中心に)と現象学との接点や協働の可能性について検討したい。

提題者1:池見 陽 (臨床心理学、関西大学臨床心理専門職大学院)
提題者2:村上 靖彦 (大阪大学大学院人間科学研究科)
提題者3:三村 尚彦 (関西大学文学部)
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by husserl_studies | 2009-12-27 13:54
池田裕輔
「エトムント・フッサールの超越論的観念論への「非存在的」批判としてのオイゲン・フィンク『第六省察』での超越論的方法論の理念

発表要旨:『第六デカルト的省察』1(以下『第六省察』)はフッサールの依頼により、当時の助手であるオイゲン・フィンクが著したものであることから、『第六省察』はフッサールの「現象学の現象学」という構想の忠実な実現と見做されてきた。しかし、他方でロナルド・ブルジーナによるフィンクの遺稿の紹介によって、当時のフィンクがフッサール現象学への省察と独立した仕方でいわゆる「非存在論(Meontik)」の構想に取り組んでいたことも知られている。後者の立場からすると、『第六省察』はフィンクの「非存在論」のためになされた助走として位置づけられることとなる。発表者は基本的には後者の立場を支持するものであるが、『第六省察』がフッサールの超越論的観念論の用語を駆使し、その体系に従い記されているという事実を無視して、フィンクのフッサール的な「現象学」から「非存在論」の思惟への跳躍を強調するという解釈は、『第六省察』を単に一人の忠実な弟子によるフッサールの構想の実現と位置づける解釈同様に抽象的な立場に留まっていると言わざるを得ないであろう。よって発表者はこの二者択一的な解釈を退け、『第六省察』をフィンクによって遂行されたフッサールの超越論的観念論へのあくまで現象学的な内在的批判、要するにフィンクのフッサールからの独特な離反と葛藤が具体的な仕方で表されたテキストとして読み直すという作業に従事する。その際、近年刊行されたオイゲン・フィンク全集所収の草稿2の精査を通じて上述した標語的な二者択一的解釈の土台は取り崩されることとなる。発表者は形式上、上述したフィンクの「非存在論」の構想の下に『第六省察』を位置づける立場を補完する議論を提供することとなるが、フッサールの現象学の成果を超越論的観念論の含む幾つかの形而上学的命題から解放し、フッサールの「現象学」やハイデガーの「存在論」といったパースペクティヴには収まりきらない、『第六省察』を通じてフィンクの「非存在的現象学」とでも名付けられるべきあくまで現象学的な未完の構想の再構築を遂行するものである。
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by husserl_studies | 2009-12-27 13:53
上島洋一郎
「感情の志向性とその表現について ディルタイとフッサールを比較して 」

 ディルタイは精神科学の基礎を記述分析心理学から表現の解釈学へと転回しながら探究した、とこれまで説明されてきた。しかし、1905年頃から断続的に行われたアカデミー発表やその当時の価値論諸草稿はそうした説明図式がもはや妥当しないこと、すなわちディルタイがむしろ精神科学の基礎づけを心理学単独で行うことから、心理学と解釈学の協働によって行うことへと移行していくことを明確に示しているのである。ではこうしたディルタイの姿勢の変化はなぜおこったのか。その第一の理由は、それまでのディルタイの詩学論の発展とともに、『論理学研究』でのフッサールの志向性分析、とりわけ、基づけ関係から捉えられた感情体験の志向性分析をディルタイが引き受けながらその限界を克服しようとしたこと、さらに第二に、そうした変化を可能にするような表現概念をディルタイがフッサールの表現概念を批判することで彫琢していったことにあると考えられる。

そこで本発表では、次のように問いを挙げて論じたい。

 1.ディルタイはフッサールの志向性分析をどのように受容し、さらにその限界をどこに見出すのか。具体的には、感情体験の志向性と非志向性の区別が問題となる。

 2.『論理学研究』でのフッサール表現論に対して、さらにその後のフッサールの思索に対してディルタイの批判はどこまで有効なのか。ここでは、「事態」を示すものとして表現を捉えるのか「思考の運動」として捉えるのか、という両者の表現概念の相違が明確にされる。

 3.そのうえで、二人の表現概念がそれぞれどういった可能性を示すのか。とりわけミッシュやその後の現象学者達がこの両者の方向性をどのように捉え発展させたのかを取り上げることでその見通しを立てたい。
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by husserl_studies | 2009-12-27 13:51
フッサール研究 第七号 特集「フッサールと初期現象学」
まえがき

特集『フッサールと初期現象学」
フッサールのノエマとインガルデンの純粋志向的対象―志向性理論から世界の存在をめぐる論争へ
植村 玄輝

何が善いのか―フォン・ヒルデブラントにおける善さの担い手の問題―
吉川孝

行為・因果・責任―フッサールとプフェンダーの「動機づけ」概念をめぐって―
八重樫 徹

論文
現象學と唯識論― 時間について ―
玉置 知彦

トロープと部分関係
秋葉剛史

フッサール初期志向性理論における「志向的対象」の位置
富山 豊

フッサール後期倫理思想における「愛」の問題
中山 純一

有意味的構築と発生的分析―理解社会学の現象学的基礎づけについて―
小林琢自

凡例
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by husserl_studies | 2009-03-13 09:42
第八回フッサール研究会

●日時:2009年3月14日(土)・15日(日)

●場所:八王子セミナーハウス・大学院セミナー室

http://www.seminarhouse.or.jp

交通:JR八王子駅から京王バスで約25分。京王線北野駅から同じく京王バスで約15分。いずれも野猿峠停留所下車。詳しくはhttp://www.seminarhouse.or.jp/access/index.htmlをご覧ください。
●プログラム:

【第1日目:3月14日(土)】

11:30-12:00 <受付>

12:00-12:40 <昼食>

12:40-14:00 島田喜行 「フッサール『倫理学入門』におけるホッブズ批判」

14:00-18:00 <シンポジウム>

「経験とは何か? 現象学的経験概念の批判的再検討」

"Was ist Erfahrung? Kritische Auseinandersetzung mit dem

phänomenologischen Erfahrungsbegriff."

提題者:ラズロ・テンゲイ、田口茂、池田喬

司会: 山口一郎

18:00-19:00 <夕食>

19:00-20:20 山下哲朗 「カテゴリー的直観とアプリオリな全体性」

20:20    <懇親会>
【第2日目:3月15日(日)】

08:00-09:30 <朝食・チェックアウト>

09:30-10:50 鈴木康則 「初期デリダにおける超越論的哲学の問題」

10:50-12:10 小林道太郎 「志向が充実されるとはどういうことか」

12:10-13:10 <昼食>

13:10-14:30 伊藤良司 「ストレス現象とハイデガー」

14:30-15:00 <ミーティング>

        <解散>
※参加をご希望の方は、「フッサール研究会の件」と明記の上kdtdf461[a]ybb.ne.jpまでお問い合わせください。([a]を@に変更)
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by husserl_studies | 2009-02-16 23:37
フッサール研究 第6号 特集「応用現象学の展開」
第一部:応用現象学の展開

第二回応用現象学会議

第I部: Various Approaches to Applied Phenomenology
Das Paradox des Rechts bei Luhmann und die transzendentale Faktizitat
Husserls

Ichiro Yamaguchi

法のパラドクス(ルーマン)と超越論的事実性(フッサール)
山口 一郎(東洋大学

On the reflective aspect of Experience:Va rela and Luhmann
Shinya Noe ( Tohoku Institute of Technology)

Dimensionen und Dynamiken der .Zeit’ Zur phanomenologischen Kritik an der
Systemtheorie 1

Georg Stenger (Wurzburg )

時間の諸次元と力動性 システム論に対する現象学の批判
ゲオルグ・シュテンガー(ヴュルツブルグ大学)

Die Phanomenologie der gesellschaftlichen Selbstbeobachtung
Die Selbstbeobachtung und Selbstbeschreibung bei Luhmann

Haruki AOYAMA

The “Lost” of Meaning and Case Wr iting in Health Care
A Phenomenological Study

Assistant Prof. Shin-yun Wang
Faculty of Medicine, KMU
Assistant Prof. Hui-ju Lin
Faculty of Respiratory Therapy, KMU

第II部:ケアの現象学
開会の辞浜渦辰二(静岡大学)

看護ケア理論における現象学的アプローチ ―その概観と批判的コメント―榊原 哲也(東京大学)

Caring from the Phenomenological Point of View
Decision-making in terminal care in Japan

HAMAUZU, Shinji (Shizuoka University)


総評と閉会の辞 和田渡(阪南大学)

第二部:第6回フッサール研究会

研究発表
フッサールにおける「原.自我」の思想-『イデーンII』と『ベルナウ草稿』の狭間で-あるいは《現象学の現象学》の一つの始まり江口 建(京都大学)

『論理学研究』における知覚の構造について
吉竹 浩克(関西大学)

レヴィナスにおける還元の問い
小手川 正二郎(慶應義塾大学)

知覚的ダイクシス ノエマ概念と指示の問題を手がかりに佐藤 駿(東北大学)

フッサールにとってカントを語ることの意義とは何か 『危機』と関連草稿における「カント批判」を中心に南 孝典(一橋大学)
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by husserl_studies | 2008-11-19 23:51
第7回フッサール研究会プログラム@八王子大学セミナーハウス
第1日目:3月15日(土)
11:30-12:00 <受付>
12:00-12:40 <昼食> 
12:40-14:00 玉置知彦、「現象學と唯識論 ―時間について―」
14:00-18:00 <シンポジウム> 
シンポジウムは、
、『フッサールと初期現象学』
吉川孝、「TBA」
植村玄輝、「現象学的判断論の展開:志向性理論から世界の存在をめぐる論争へ(フッサール、ライナッハ、インガルデン)」
八重樫徹、「行為・因果・責任―フッサールとプフェンダーの『動機づけ』概念をめぐって」



18:00-19:00 <夕食>
19:00-20:20   秋葉剛史、「トロープと部分概念」
20:20-  <懇親会>

第2日目:3月16日(日)
08:00-09:30 <朝食・チェックアウト>
09:30-10:50 富山 豊、「フッサール初期志向性理論における「志向的対象」の位置」
10:50-12:10  中山純一、 「発生的現象学における「愛」の在り処」
12:10-13:10 <昼食>
13:10-14:30  小林琢自、「フッサールの時間論とシュッツによる理解社会学の基礎づけについて」
14:30-15:00 <ミーティング・議論>       <解散>

下のエントリに発表要旨がリンクされています。
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by husserl_studies | 2008-01-12 10:25
秋葉剛史、「トロープと部分概念」
現代哲学、特に形而上学の文脈で、「トロープ」という概念が注目を集めていることはよく知られている。単純化して言えば、トロープとは、この机だけが持つこの個別的な硬さや、この個別的な色などの「個別的性質」である。そして同様によく知られているのは、近年この概念が哲学上の市民権を獲得するに至ったのに先立つことほぼ一世紀、ブレンターノ学派の哲学者たちがトロープと同等の概念について多くの議論を展開していたという事実である。本発表では、特にブレンターノ、フッサールによるトロープの扱いにおいて特徴的な点を取り上げその意義を探ることを目指す。

彼らの見解に関して特徴的なのは、実在の記述に際してトロープに積極的な地位が認められただけでなく、トロープとそれを持つ実体との間の関係とは、われわれのよく知る「全体-部分」という関係に他ならない、と主張されていることである。例えば、『論理学研究』の第三研究において構想される形式的な全体と部分の理論は、フッサールがまさにこの点を前提していることを何よりも明らかに示している。またブレンターノも、少なくとも中期においては、これと同様の立場をとり、対象の「分離不可能部分」としてトロープを特徴付けている。

トロープと実体の関係は、全体-部分関係の一種である、というこの主張を前にしたとき、われわれのうちには一種のアンビバレンスが生じるように思われる。すなわち、トロープがそれを持つ実体の部分であるという記述は何らかの意味で適切であるように思われる一方で、その関係を通常の部分関係(机とその脚のような)と完全に同一視することには躊躇いが生じる、と思われる。つまり問題の主張は、ある程度のもっともらしさと、それと同程度のもっともらしくなさを持つように思われるのである。

本発表で私は、上のような感覚がどのような事象に基盤をもち、哲学的な反省を経た場合どの程度まで維持可能であるか、という点を明らかにすることを目指す。より具体的な論じ方としては、通常の部分関係と、トロープ-実体の間のいわゆる「内属関係」との間のアナロジーを支持するためのいくつかの材料をフッサールとブレンターノのテクストから取り出し、議論として明示的に定式化した上で検討する。また、P・サイモンズ、B・シュニーダーら現代の形而上学者が二つの関係の間のディスアナロジーを支持するために挙げる論拠も取り上げ、それらを見積もることも予定している。
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by husserl_studies | 2007-12-19 09:36