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南孝典 「『危機』における「カント批判」について」
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イゾ・ケルンは、『フッサールとカント』の中で、フッサール晩年の『危機』書を、『カント的省察』と呼ぶことにやぶさかでないと指摘している。容易に想像できるように、この表現は『デカルト的省察』に対応しているが、このように主張する理由としてケルンは、『デカルト的省察』独語版の公表が断念されて『危機』が発表されたということ、またフッサールが『危機』の中で「カント批判」の計画を構想していたことなどを挙げている。実際『危機』第II部最終節では、それまでの歴史的省察を一旦中断してカントに立ち止まることが予告されているし、それを受けて第III部Aの前半部分でカントを巡る考察が展開されている。いずれにせよ、上記のケルンの主張を受け入れるかどうかは別にしても、フッサールが最後の著作においてカントとの対決を重要な課題と見なしていたという点は、やはり注目に値するだろう。そこで、『危機』における「カント批判」がそもそもどのような内実と意義を持っているのか、その点について詳細に考察することにしたい。この課題を追求する手がかりとしては、第III部Aの前半部分の他に、フッサールが表紙に「カントとの接続」と記した草稿群―その一部に該当するのが、全集第6巻の補論10及び15、また全集第29巻のNr.23などである―があるが、これらが考察の中心テクストになるだろう。

 ところで、ケルンやルドルフ・ベームは、『危機』のカント理解が、20年代の重要な講義や演習において検討されたカントの考察に多くを負っていると指摘している。そこで二つの時期の間のカント理解に実際に連続性があることを示した上で、前者の理解を補うために、後者のカント理解も参照することにしたい。「カント批判」とは言っても、カントについて語られていることはそれほど多くないだけに、20年代の議論を参照することは「カント批判」の意義をより深く捉える上でも重要な作業となるだろう。本論では特に、1924年の講演「カントと超越論哲学の理念」、また『第一哲学』に収録されているその関連草稿などが、検討されるだろう。

 本論の考察は、カントとフッサールを俯瞰的に捉えて考察するものではい。あくまでも「カント批判」のテクストを中心に、フッサールの語るカントを再構築し検討することに力点が置かれるだろう。こうした作業を通じて、フッサールの示すカントとの微妙な距離感が把握可能となり、「カント批判」が「超越論的現象学への導入」という課題に大きく寄与するものであることが明らかになるだろう。
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by husserl_studies | 2007-01-12 00:01 | 研究発表要旨
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