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(5) 福光瑞江
フッサールの物質的本性に関する現象学 ―『イデーンII』を中心にして―



フッサールの思想発展史を無視するわけでもなければ、フッサールの後期思想から前期思想を解釈するデリダがモハンティーに批判される(Phenomenology,p65)一例に陥ることにもならない仕方で、フッサールの「物資的本性に関する現象学」を考察する。原自我および相互主観性の理論的装備が整ったフッサールの後期思想の射程の中で、『イデーンII』におけるmaterielle Natur物質的本性に関する現象学的考察が非常に重要なテーマになる。というのも、自我論的現象学から超越論的社会学的現象学へ移行する後期思想のなかで、原自我および相互主観性が存在論的な意味で構成することのできない「物質」をフッサール自身がいかに記述していたかを見ておくのは、自我極に還元できない対象極を想定する議論を吟味する際の重要な試金石となるからである。
 具体的には、Bernhard Rangの “Husserls Phänomenologie der materiellen Natur”の記述に従って、ExtensionalitätからMaterialitätへの移行(IdeenII,§12-15b)と、Sinnending とphysikalisches Dingの区別の問題から、Empfindungと Wahrnehmungの関係およびdas Wahrgenommene als solchesの意味を明確にする。ここから、『イデーンII』執筆当初の計画であったmaterielle Naturとanimalische Naturを対象とする自然科学とgeistige Naturが主題となる精神科学の平行論の構想がなぜ崩れていったかを、ノエマ-ノエシスの関係からではなく、theoretische Einstellungと praktische Einstellungの関係から考察する。というのも、ノエマ-ノエシスの関係ではまだ自我極と対象極という対応が残らざるを得ないが、theoretische Einstellungと praktische Einstellungの関係を問題にする場合、両区別は自我極内部での区別であるから、もしこの区別に対象極が必要とされるならば、対象極は単に「主観の前に立てられた」という意味での客観ではなく、ある種の積極的役割を持つことが確認できるからである。
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by husserl_studies | 2006-01-04 23:23 | 研究発表要旨
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