<< (4) 谷口純子 (2)齋藤 暢人 >>
(3) 植村 玄輝
「言表作用への反省の限界:命題のスペチエス説はなぜ放棄されたのか.」



フッサールの『論理学研究』において,真理値の担い手としての「命題Satz」という
概念は,決定的に重要な役割を果たしている.『プロレゴメナ』において,論理学の対象は,
判断作用の多様にたいしてイデア的に同一的にとどまる命題であり,真理の客観性は
この命題によって確保される,と主張することによって,フッサールは心理主義によるメタバシスを予防するのであった.そして,続く第二巻の序文において,われわれが命題をどのようにして把握するのかを記述することの必要性が説かれ,大部にわたる現象学的分析が開始されるのである.

この意味で,命題,とりわけ真なる命題(真理)は『論研』全体の主題にほかならないのであるが,同書においてフッサールが命題とその把握について与えた分析は,妥当であると見なすことのできないものであり,問題のさらなる分析を要請するものであった.『論研』における命題のスペチエス説,つまり,命題のイデア的同一性は,スペチエスのそれにほかならないのであり,命題の作用に対する関係は,赤のスペチエスの赤い紙片に対する関係と同じである,という説(第一研究第31節)は,同書の根本的な欠陥として後に撤回されるのである(インガルデン宛書簡参照).そして,スペチエスに変わる命題概念として登場するのが,ノエマ(より正確には,判断ノエマのノエマ的意味)である.

以上のことは,フッサール研究における常識に属している事柄と言えるかもしれない.しかし,フッサールがスペチエス説を放棄するに至った理由が問題となると,事情はそれほど明らかなものではない.少なくとも公刊された著作のどこにもその理由は明記されてはいないし,そのかぎりでは,ノエマ的命題概念への移行は,独断的な調子を帯びて見えさえもするのである.また,先行研究の多くは,「スペチエス説の記述的疑わしさ」からフッサールの移行を説明するにとどまっており,哲学的に十分な議論をそれに与えたとは言い難い.
だが,『論研』公刊以降の講義・草稿群を繙けば,この問題についてフッサール自身が綿密な議論を展開したことは明白である.本発表は,『論研』における命題概念を定式化した後に,スペチエスからノエマへの移行を支持するフッサールの議論を再構成し,『論研』では十分に把握されていなかった,言表作用への反省の本性と限界がその過程であきらかになることを示す.
[PR]
by husserl_studies | 2006-01-04 23:18 | 研究発表要旨
<< (4) 谷口純子 (2)齋藤 暢人 >>