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知覚は誤らないのか:エコロジカル・アプローチをめぐって
 メルロ=ポンティの主著を引き合いに出すまでもなく、フッサールにおけるその端緒から、知覚の分析は現象学において中心的な役割を果たして来た。直観における明証にその最終審級を求める方法論的態度と、直観による充実化との相関において個々の作用の志向的内容を特徴づける志向性理論のアイデアは、初期の現象学において既に知覚にある特権的位置を与えていたものである。無論のこと、認識論的な哲学の体系の中で知覚に何らかの中心的な位置を与えること自体はさほど珍しいものではない。しかしながらそれ以前の哲学の伝統における知覚の扱いに対して現象学におけるそれを特徴づけるものがあるとすれば、それはフッサールやメルロ=ポンティといった人々による知覚の分析が、まさに個々の具体的な知覚という現象の様々な奥行きと多様性に寄り添った分析であったことだろう。こうした、具体的な経験の肌理細やかな豊かさを掬い取るという方針は、多くの現象学者が他の哲学的伝統に対して己に誇って来たものである。
 こうした特徴づけは、そうした具体性に即した知覚の分析が現象学以前においても存在しなかったわけではないという点においていささか誇張を含んではいるが、フッサールやメルロ=ポンティの果たした仕事の意義を評価する、という点では眼目のないものではないだろう。とはいえ、フッサールはもちろんのことメルロ=ポンティの没年から数えても、既に五十年以上が経過している。その後の現象学研究において、知覚の分析が常に研究のメインストリームであったとは到底言えないし、また数十年前の現象学者の果たした仕事がどれだけ偉大であれ、現在においても現象学が知覚の分析の最先端であるということはそこからは帰結しない。近年、知覚の分析において目覚しい研究成果がフッサール研究の業界を賑わす、といったことはあまり眼にしないのではないだろうか。
 こうした視点から見ると、近年の知覚論研究はむしろ認知科学や分析哲学の方面で活況を呈している。日本においても知覚論を専門とする若手の分析哲学者が活発に活動しているし、
2014年にウィリアム・フィッシュの定評ある入門書が邦訳されて以降、こうした分析哲学における知覚論の隆盛はぐっと近づき易いものになったと言えるだろう。それに比べて、現象学研究における知覚論研究は下火になってしまったようにも見える。
 そうした状況の中、このフッサール研究会でも創設期から活躍されていた、フッサール現象学にも造詣の深い染谷昌義氏の著書『知覚経験の生態学:哲学へのエコロジカル・アプローチ』が今年刊行された。だが、染谷氏の著書は、現象学から多くのヒントは得ているものの、知覚は誤らないという主張のもと知覚の表象的性格を否定し、環境の存在論からのアプローチを主張して現象学をはじめとする方法論的独我論を批判するなど、現象学研究者にとって手放しで味方として歓迎できるものとは言い切れない。認知科学・心理学の分野とも接しながらもやや異色なこのエコロジカル・アプローチからの刺激的な提案を受けて、知覚論研究の今後についてどのような展望が拓けるだろうか。今回のシンポジウムでは、同書著者の染谷昌義氏に問題提起をいただき、
分析哲学の知覚論に詳しい小草泰氏、フッサール研究者であり分析哲学の議論にも通じている葛谷潤氏に、染谷氏の議論に検討を加えていただく。
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by husserl_studies | 2017-03-22 10:46 | 研究発表要旨
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