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小手川正二郎 「真理と誠実さ:フッサール、レヴィナス、ウィリアムズ」
「真なることを語ること」とはいかなることか。「真なることを語ること」と「誠実さ」(sincerity)とはいかなる関係にあるのか。

本論は、フッサール現象学の真理論を独自の仕方で継承した E・レヴィナスの議論を通じて、こうした問いに答えることを試みる。実際レヴィナスは、『全体性と無限』(1961年) で現象学的な真理概念を吟味し直し、他人との人格的関係のうちに「〈同〉と〈他〉の関係の様態としての真理」(Emmanuel Levinas, Totalité et Infini, Den Haag: Martinus Nijhoff, 1961, livre de poche, p. 59)を見出している。そうして彼は、他人との人格的な係わりを言表内容の真偽に先立つ「誠実さ」(sincérité)と呼び、これが言表内容の真偽を条件づけていると主張する― ―こうした主張は、第二の主著『存在するとは別の仕方で』においても撤回されることなく、むしろ徹底されている(Emmanuel Levinas, Autrement qu’être ou au-delà de l’essence, Den Haag: Martinus Nijhoff, 1974, pp. 18; 65)。レヴィナスが「誠実さ」と呼ぶものは、いかなる事態を指 し、言表内容の真偽性をいかなる形で条件づけていると言えるのだろうか。こうした問いを考えるにあたって本論は、レヴィナスが絶えず参照し続けるフッサールの真理概念に立ち戻ると同時に、真なることを語ることと誠実さの関係について独自の考察を展開しているバーナード・ウィリアムズの議論(Bernard Williams, Truth and Truthfulness, Princeton: Princeton University Press, 2002, chap. 5)にあたることで、レヴィナスの考察の意義をより具体的な仕方で明らかにすることを試みる。
by husserl_studies | 2016-01-21 19:59
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