近年、フッサールの『論理学研究』(以下『論研』)における第三研究「全体と部分の理論について」(以下「全体と部分の理論」)の重要性が認識されるようになり、メレオロジーや分析的形而上学といった分野で盛んに議論されるようになってきた。しかしながら、フッサール現象学の内部で「全体と部分の理論」が果たす役割については十分に議論されているとは言いがたい。そこで本論では、主に『論研』と『イデーンⅠ』において「全体と部分の理論」がどのように機能しているのかを明らかにする。具体的には、『イデーンⅠ』での超越論的主観性の構造が、『論研』で「全体と部分の理論」を用いて分析した意識構造を拡大したものであることを示す。さらに、これらの分析に基づくと、超越論的主観性を、個々の志向的作用や志向的構成物を部分として含む、理念的全体として捉えられることを示す。
議論の流れとしては、まず始めに『論研』の第三研究「全体と部分の理論について」を概観したあとで、第六研究において「全体と部分の理論」がどのように応用されているのかを見ていく。フッサールは、第六研究の範疇的直観の分析において、感性的直観と範疇的直観を、ある全体から分離不可能な部分、すなわち「契機」とみなし、それらが互いに結合して複合体をなすことを論じている。さらに複合的な作用はそれ自体が反省によって対象化され、新たな作用と結合してより包括的な作用になる。この反省プロセスは無限に繰り返されることが可能であるとされる。このように、作用同士がお互いに結合してより包括的な複合体を作るという発想は、意識構造の分析に「全体と部分の理論」を応用したことの一つの帰結と言えるだろう。 次に、『イデーンⅠ』でも「全体と部分の理論」が超越論的主観性の構造の記述に用いられていることを見ていく。超越論的主観性は「契機」としての個々の志向的作用が基づいている意識領域の全体として位置づけられているのである。そして、『論研』で論じられた無限の反省プロセスもこの超越論的主観性の領域で可能になる。 しかしながら、部分としての個々の志向的作用と比較して、超越論的主観性を単なる全体として捉えることはできない。というのも、超越論的主観性はあらゆる実在物を志向的相関項として己の内に構成し、己の領域を無限に拡大していくという理念的可能性を持った全体だからである。このことから、超越論的主観性は理念的には確定された境界を持たない全体であると言える。
by husserl_studies
| 2011-01-24 16:43
| 研究発表要旨
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フッサール研究会
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