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越後正俊
「明証概念の帰趨 ~『論理学研究』から『イデーンI』へ」(予定)

明証概念の帰趨 ~『論理学研究』から『イデーンI』へ(予定)
『論理学研究』では、「理念的な可能性という意味でいえば、あらゆる直観的志向には質料についてぴたりと適合する意味的な志向がある。」(Hua XIX/2, 607)とされる。

その上で「明証」とは、表現の持つ意味志向と直観による意味充実との綜合作用としての充実化の作用のことだとされる。ある対象を志向する際に重要なのは「質料ないし意味」であり、「質料のみが確保すべき充実関係にとって決定的なのである」(Hua XIX/2, 607)

他方『イデーンI』では、「明証とはその『核』の面からいえば、ある理性定立と、それを本質に適合するよう動機づけるものとの統一である。」(Hua III/1, 316)とされる。ある事物を知覚するとは、事物の直接的な現出から、正当化のための権利根拠を受け取っている理性定立のことに他ならない(Hua III/1, 314ff.)。

この発表では、『論理学研究』と『イデーンI』における、明証に関するこうした叙述の推移を支えている動機を摘出したい。具体的な見通しは以下のとおりである。『イデーンI』では対象を知覚しているのか、想起しているのか、あるいは幻覚しているのかといった、直観のされ方に関して区別を設けるばかりでなく、対象を可能的なものとしてとらえるのか、現実のものとしてとらえるのかといった「存在様相」の区別も立てる。存在様相の問題は作用の側から見れば、信念性格の問題であるということになる。

このうち前者のどのようにして直観されているかという系列は、直観性の『イデーンI』の第一篇第二章「自然主義的誤解」の理解にとって重要であり、後者の信念性格に関する論述は真理の問題にとって重要である。前者は同章でのいささか唐突な、力強い直観の権利の擁護につながっており、後者は理性の現象学を支える直接のファクターとなっていると考えることができるのではないか。こうした捉え方を明証に関する記述から読み取る試みをしてみたい。
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by husserl_studies | 2009-12-27 13:55
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