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上島洋一郎
「感情の志向性とその表現について ディルタイとフッサールを比較して 」

 ディルタイは精神科学の基礎を記述分析心理学から表現の解釈学へと転回しながら探究した、とこれまで説明されてきた。しかし、1905年頃から断続的に行われたアカデミー発表やその当時の価値論諸草稿はそうした説明図式がもはや妥当しないこと、すなわちディルタイがむしろ精神科学の基礎づけを心理学単独で行うことから、心理学と解釈学の協働によって行うことへと移行していくことを明確に示しているのである。ではこうしたディルタイの姿勢の変化はなぜおこったのか。その第一の理由は、それまでのディルタイの詩学論の発展とともに、『論理学研究』でのフッサールの志向性分析、とりわけ、基づけ関係から捉えられた感情体験の志向性分析をディルタイが引き受けながらその限界を克服しようとしたこと、さらに第二に、そうした変化を可能にするような表現概念をディルタイがフッサールの表現概念を批判することで彫琢していったことにあると考えられる。

そこで本発表では、次のように問いを挙げて論じたい。

 1.ディルタイはフッサールの志向性分析をどのように受容し、さらにその限界をどこに見出すのか。具体的には、感情体験の志向性と非志向性の区別が問題となる。

 2.『論理学研究』でのフッサール表現論に対して、さらにその後のフッサールの思索に対してディルタイの批判はどこまで有効なのか。ここでは、「事態」を示すものとして表現を捉えるのか「思考の運動」として捉えるのか、という両者の表現概念の相違が明確にされる。

 3.そのうえで、二人の表現概念がそれぞれどういった可能性を示すのか。とりわけミッシュやその後の現象学者達がこの両者の方向性をどのように捉え発展させたのかを取り上げることでその見通しを立てたい。
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by husserl_studies | 2009-12-27 13:51
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